
雑記
2025-01-26CLIで完結するブログ
最初にブログを作ったのは、B1の春休みだったと記憶している。当時はWeb系の知識も乏しく(今も変わらないが)、フロントエンドのフレームワークを利用するという発想が無かった。そのため、生のHTMLとCSSでブログを作りFSで記事を管理するという老舗ぶりを遺憾なく発揮した。無骨さは不便さを生み、投稿までに非常に労力を要する欠陥ぶりは否めないが、自作のブログには魂が宿り、結果として愛着が湧いて継続的に日記というか雑記を残して後世に振り返り、「若いね~」と思うことが暫しあった。あのブログの凄いところはVisual Studioのファイルに直に内容を書いて保存するという点にあった。一般的なブログ投稿サイトでは、記事を執筆する用の専用エディタが用意されていることが殆どだが、私の場合はHTMLのpタグに直接書くという荒業を披露していた。慣習というのは恐ろしいものである。流石に途中からはメモ帳で執筆した内容を貼り付ける方式に変えたが、それなら.txtファイルを読み込んで埋め込めるようにすれば良いではないかと思うかもしれないが先述の通り慣習というのは良くも悪くも人間を留まらせるのである。
結局Reactを使うことは無かった
個人開発の機会も無ければ、プログラミングに触れる機会も乏しい。個人で完結するような書評サイトとか作りたいアプリは存在するが、腰が軽すぎて他のことばかりやっている。
プログラミングは手段に過ぎないが、意外と道具を使ってアレコレと遊んでいるうちに出来ることの多さに気が付くということはよくある話で、私が知らないだけでプログラミングは可能性に満ち溢れている。幼少期に退屈さの中で遊びを創造したように
暇が苦痛になったらヤバい
既に大学3年も終わりに差し掛かっている。決して短いとは思わないが、それ相応の時間が経ったのだと思う。1,2年の頃は、授業を時間割に入るだけ履修していたので期末試験や期末レポートに追われて地獄の様相を呈していたが、その甲斐あって3年では比較的自由に過ごせている。勿論、研究室に配属されてゼミで発表する機会や指導教員との面談に際して進捗を発表するなど捉え方によっては楽とは言えないかもしれないが、理工系の学部でコアタイムによる拘束で自由な時間を奪われる訳ではないので楽とも言える。基本的に家で論文を読んでメモって仮説を立てて指導教員に説明して理論武装でボコボコにされて家に帰って泣くというサイクルを繰り返すだけなので時間的な制約は特に大きくない。教授は基本的に多忙を極め、普段から週に2,3コマの講義を受け持ちゼミ生や卒論生の面倒を見ながら自分の研究を進める訳であるから超人と言わざるを得ない。本当に寝ているのだろうか。
基本的に暇ではないのだが、1,2年の時よりは時間的な余裕があるので論文を読む傍らで小説の執筆とアニメを観てオタクの友達と日夜語り合うという日々が繰り返される。特に3年前期は小説を読むということに重きを置いて過ごしていた気がする。執筆に際して基本的にインプットが無ければアイデアがバケツから溢れることはないので多読こそが正義だと最近は思っている。読書に関して文化庁が調査をした結果があり、大人の読書量は年々減少傾向にあることが報告されているらしいが、娯楽の反乱により読書から離れるというのは頷ける話ではある。確か月に7冊以上読む人間は、1%ぐらいとか言ってた。大学生なんて基本は暇で、人生の反抗期みたいな言説もある訳だから1日に1冊ぐらいは専門書が読めるとは思うので嘘だろうとは思ったのだが現実はそうではないらしい。そもそも大学生を対象にした調査ではない。
無軌道な文章になっているので、話を表題の件に移すと、最近なぜか暇なのに体が動かないケースが散見されてヤバいなと思うことがある。自由を渇望していた1,2年の頃に比べて、ある程度の自由が保証された今はそこまで自由に飢えて少ない時間でも県外に飛んで行って街を練り歩くみたいなバイタリティに満ちた行動を取れていない気がする。過去のブログというか日報を読み返すと忙しさの中でやりたいことを列挙して、「時間がない」という時限爆弾が刻一刻と起爆に近づいていることに気付いた捜査本部みたいな台詞を吐いていたのだが、最近は穏やかである。うら若き私が穏やかなら今後もっと穏やかになって悟りを開いてしまう可能性があることに若干の危惧がある。ということで自分を苦しませることに苦心することとする。己を苦しめて鍛え抜きたいという欲求は、サディスティックな自己とマゾヒズムな自己との融合である。